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2015/12/31(
聴覚は消耗品

 朝の出勤時、たまにすれ違う大音量音楽の車。視認しているわけではないので、確実に同じ車かどうかは定かではないのですが、まあ同じ時間帯に似たようなジャンルの音楽をいつも流しているので、多分同じ車です。
 最初その大音量に気付いた時、瞬時に「アリプロだ」とわかりました。はっきり聞こえたわけでもなく、おそらく間奏中でボーカルなし状態だったわけですけど、でもあの低音部は間違いなくアリプロ。しばらくすると聞こえてくる歌声は、やっぱりアリプロなのでした。低音が聞こえにくいくせに耳障りなので、普段自分が音楽を聴く時は低音をカットしまくっているというのに、その低音部で確信できてしまう。不思議なものです。

 しばらくは常にアリプロだったその車、ある日別の人の曲に変わっていました。と言っても、確実に同じ車かどうかは定かではないのですが略、今度は瞬時に「LiSAか藍井エイルだ」。リズムが何かそんな感じ。しかしアリプロは自主的にも聴くけど、この2人は聞きかじる程度でしかないので、ホントかよ、と自分ツッコミを入れてしまったのですが、注意深く耳を澄ましながら歩いていれば、確かにそのどちらかの声でしかないのです。ただし聞き分けができないので、どちらだという確信はありません。だって2人とも、高音が耳に刺さるんや…。

 しかしああいう大音量、中にいる人の耳は無事なんでしょうか。どう考えたって無事で済むはずはないと思うのですが。爆音を垂れ流してる時点でわかりあえない相手感はすでにあるけど、いずれ耳を壊すとすれば、聴覚的にも意思疎通が取りづらくなるわけですよね。そうでなくても、単純に加齢で聞こえにくくなったりもするわけですよ。そこに年取った人特有の融通のきかなさまで加わるとしたら。…おっかないな!みんな耳は大切にしようぜ。


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