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 母方のばーちゃんが亡くなりました。亡くなる3週間ほど前に会いに行った時には、もう「うーん…」っていう状態で、いずれ双子と一緒の写真をまともに撮りたいと思っていたのですが、結局できませんでしたね…。
 そんなわけで親戚が総動員。普段別々に顔を合わせることはあっても、一堂に会すことはあまりない人たちが一気に集まり、何だかレアな絵面の写真が撮れたりしました(つまり双子と遊ぶうちの兄ちゃん)。

 伯父宅にて、双子と初めてのお泊りともなりました。いつもは最初の30分~1時間は人見知られるのに、何故か今回は最初からエンジン全開、超ご機嫌。まあ大人はみんな慌しくしているし、ご機嫌はいいに越したことはありません。

 お通夜が終わったあと一旦家に戻ってから、朝急いで出掛けてきていたいとこがあれこれ忘れ物をしてきたというので、買い物に出掛けることに。「チコちゃんニコちゃんは?一緒にお買い物行く?お留守番してる?」「いくー」「いかなーい」「どっち?」「いくー」「いかなーい」というやり取りを何度か繰り返していて、どうせ最終的には一緒に行くのだろうと思って横で聞いていたら、「すみちゃんとまってる!」。…マジか!いつもはうちに預けられて、2人だけ残されると「マ゛マ゛ぁぁぁぁ(泣)」って叫んでる人たちが!でもいざパパとママが出ていったらいつもみたいに泣くんでしょ、と思いきや、意外にもけろりとして、広い家の中を何度も端から端までダッシュし続けるのでした。せっかく『一緒にお留守番』を希望していただいたことだし、律儀に追いかけましたよ。大変でしたよもー。

 見事お留守番をクリア、パパとママが帰ってくると、今度は「すみちゃんとおふろはいる!」などと言い出します。一体何が起こっているんでしょうか。さてはこれがモテ期というものか。さすがに私1人で2人の面倒を見るのは難易度高すぎなので、いとこ含め4人で一緒に入浴。それでも窮屈さがない広い浴室で助かりました。そうそう、家を建てる時、ばーちゃんに介助が必要になっても動きやすいようにってスペースをかなり広めに取ったんですよね、たしか。最終的にはあまりそういう機会もありませんでしたが。

 翌日の葬儀中も双子は相変わらずで、時々外に出て遊んだりもしつつ、彼女らなりに状況は察しているらしく、神妙な顔で棺の中に花を入れる様はちょっと面白かったです。なんか異常にハイペースにことが進んでいく段取りになっており、葬儀当日にお寺に納骨にまで行ってしまったのですが、そこでもご機嫌で出されたお菓子をばくばく食べていました。「まだ食べんの!?」とパパが言ったのを、2日間で何度聞いたことでしょう。生まれてからずっと、一貫して食欲が旺盛で素晴らしい。だからものすごく動くのか、動くから食べるのか…。そういえばニコさん、新生児時代はすぐにミルクを吐いちゃう子だったんですよ。今はたくさん食べて、それだけです。あの面影はもはや消え失せた。

寺猫様がいるお寺でした。茶色い子は、京都の神社で拾われたのだとか。

 収骨はさすがに双子はお留守番でした。私は初めてだったので、ほかの人がどんなんだかわからないのですが、なんかわりとしっかりした骨だったんだそうですよ。確かに91歳の女の人ともなると丈夫なイメージなど皆無ですけど、残っていることはそんなにないらしい『指仏』(手指の末節骨)というものも、係の人が見付けてくれました。手先が器用だと残ると言われているのだとか。あとから調べると徳が高いと残るとも言うそうで、火葬時には手は胸元で組まれているため、収骨時には胸元に残るということで、『胸仏』とも呼ぶとのこと。そのわりには、係の人最初から腕を真っ直ぐにのばしたあたりで探してましたけど。そしてそこで見付けてましたけど。そういえば何でだろう、納棺前に組んだ手を固定されるのを私は間違いなく見てたんだけども。……まあ、何かそういうものなのでしょう。気付かない間に、係の人は胸元を先に探していたに違いない。

 そんなこんなで、長らくじーちゃんと早世した長男の2人住まいだったお墓に、ばーちゃんが加わりました。3つ並んだ名前は、なんだか初々しい家族のようでした。前回は短い時間だった3人家族だけど、今回はまあ、当分は続くんじゃないかな。


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