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 新海作品を観るのは、秒速・雲のむこうに続き3作目。ハッピーエンドらしいという噂は目にしており、もやっとするラストが持ち味じゃないのか、丸く綺麗にまとめちゃうなんてそれでいいのか、私アレ結構好きなんだけど、とか思っていました。

 今の日本で自然災害を盛り込むというのはずるいというか、あまりにも鉄板で、動物ネタとか子供ネタとかと同じ部類の、泣かせるにはベタな手法でしょう。そこであんまり救いのないオチは商業的にアウトでしょうけど、最後に2人がそのまますれ違うというのも、やっぱりそれはそれでアリじゃないかなとは思う。けれども、出会って始まる話じゃなくて、ラストでようやく出会う話だということを考えれば、あそこで振り返らないことには成り立たないのかもしれません。
 私は泣かなかったけれども、突然連絡が付かなくなるあたりで、実体験を思い出して頭を抱えたくはなりました。それこそ東北の地震の時、東京にいた人となっかなか連絡が取れなくて、メールの受信ができたのが送信の数時間後だったりとかしたわけですよ。事態が事態なので仕方ないことだとはわかりつつ、だからって落ち着いてられるわけないじゃないですか。アレはもう、本当にダメだ(しかし数日後、東京宛てに郵送した荷物はしれっと翌日到着していた。郵便屋さんすごい)。

 奥寺先輩はザ・男子の妄想だなぁ、と思いながら観ていて、よくわかんないんですが、数日経ってふと思い返したら妙にイライラしてきました。何だこれ。単純に人間的に苦手なタイプだったのか…?
 ていうか先輩のスカート、あの直し方はどうなんですか?あれも男子の妄想かもしれません。ウケ狙いならともかく、そのスカートそのまままだ履くの?それができあがるまで、じっと待たせてたの?真の実力者は、直した痕跡を感じさせないように縫うものです。画面映えゼロですけども。

 しかし、どうして三葉と入れ替わる相手が瀧だったのかなぁ。そのへんの理由付けはわかりやすく欲しい気もします。一応検索してみたんですが、三葉が東京のイケメンになりたがったからという、そんな理由?っていう考察ばっかりだったので、繰り返しみてやっとわかる何かがあるというわけでもなさそう。本当にそんな理由、なのだろうか。


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